平成24年12月21日に母が、翌年の25年5月13日に父が相次いで亡くなり、その約1ヶ月後もう一人の相続人である兄からの
「父が公正証書遺言を作っていた。写しを兄弟ともお世話になっている会計事務所に預けているので行くことがあれば見ておくように」
という一本の電話が私の方にありました。
これが兄と私の約5年に渡る裁判のスタートでした。
私の父は書家で財産管理は全て母に任せ切りでノータッチでした。その母は平成14年12月頃に「アルツハイマー病」を発症しました。
兄がその後、通帳をはじめ、すべての管理してきました。
何一つ内容・経緯について兄が説明してくれることがないことより、私は、公正証書にある金融機関と
父母名義であったと考えられる金融機関を訪ね、調べたところ、出金解約され、残高はほぼ「0」に近いものでした。
私は親族に一審法律事務所を紹介してもらい、口座履歴を調べ報告し、平成26年8月21日に訴状を提出しました。
一審では私が収集提出した資料を基に協議が進んでいきましたが、通帳をはじめ全ての資料は兄が所持していて
自身に不利に働くものは見つからないとして一切提出しないという姿勢を貫きました。
そのため双方の主張と反論の繰り返しが続き、結局、平成29年3月9日に一審判決が下りましたが、
私の主張はほぼ全面却下されるという惨憺たる結果でした。
相手側が徹底して自身に不利に働く資料は見つからないとして提出しなかったこともありますが、
こちらも詰めが甘くどちらか一方に偏った判決結果にもなる状況ではありましたが、自身判決内容に全く納得がいかず
判決内容を何度も読み直しましたが理解不能でした。
一審で代理人弁護士が自ら資料収集し裁判に向けての方針を全くといって説明してくれなかったことから、
私としては引き続いて控訴審をお願いする考えはないものの、このまま裁判を終える考えもない状態でした。
ただ、偶然HPから大澤先生のことを知り、何としても二審をこの先生にお願いし戦っていこうと「直感」で決意し、
平成29年3月16日に法律相談していただきました。
その際、大澤先生に判決文を見ていただいたところ
「控訴審は、一審での認定を基として判決するので、通常は逆転判決を勝ち取ることは大変きびしい。
ただ、新たな証拠資料を提出できれば、控訴審で判決が変わることもありうる」と教えていただきました。
大澤先生に事件を依頼したときには、控訴状提出後の第1回公判まではわずか1ヶ月余りしかありませんでした。
そのような短期間に3年間に及ぶ一審資料の検討分析と新たな資料を提出することは大変なことです。
このため大澤先生と北野先生を中心に事務所のスタッフ皆様が一丸となり夜を徹し資料の分析をしてくれました。
同時に相続財産のかなりの部分を占めている株式のさらなる詳細調査を行うため、父母の株式異動証明を取寄せ分析し、
その内容をグラフ・チャート化し、次々と準備書面に反映していただきました。
このデータは事務所の会議室の大型液晶ビジョンを使って大澤先生から詳しい解説分析をしていただき、
岡井先生にも補佐していただき何度も検討がなされました。
大澤先生には一審は争点が多すぎたとの指摘がありました。
そのため、控訴審では徹底的に論点を絞ると共に、北野・岡井両先生ならびに事務所スタッフの皆様が
総がかりで新たな資料収集をしていただきました。
公判の中盤に「大阪高裁で一年以上もかけて裁判が継続することは異例中の異例である」ということを私は大澤先生はもとより、
担当裁判官からも聞かされました。
大澤先生は最後まで決して楽観視されることはなかったものの、毎回大澤先生ならびに岡井先生が作成して送っていただく
期日報告書・現状報告・コメントを見ていると、公判の中盤からは、流れが完全に私の側に向いてきたことがはっきりと分かりました。
裁判所の和解勧告により、平成30年5月14日より本格的に和解協議となり、税務上のことまで含め、
平成30年6月25日の和解調書でもって、無事私の5年に及ぶ相続裁判の終わりを迎えられました。
控訴審を引き受け、申し分のない判決へと導いていただいた大澤先生をはじめ北野・岡井両先生ならびに膨大な資料を収集し
事務的手続きを行っていただきました事務所のスタッフの皆様本当にありがとうございました。
大澤先生とスタッフの皆様の今後のますますのご健勝をお祈りいたします。
追伸 先生からいただいた二審全裁判記録ならびに収集していただいた全資料は全て私の財産として保存しておく所存です。